🌼感謝祭の由来🌼
- 玉 黄色
- 2021年11月19日
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神は出エジプトするイスラエルの民に、3つの節を守るように命じられた(出 エジプト23:14-17)
❶過越祭り:救われた日を記念して(キリストの血の契約)
❷麦収穫祭:小麦や大麦を収穫した後、神様に最初の実を刈り入る(聖霊の導き)
❸収穫感謝祭:最後の収穫を終え
収穫したものを収める(天国)
11月の第3週目に守られている
感謝祭の直接な近代的由来は、
北米大陸を開拓した清教徒たち(Pilgrims)の「感謝」
にあります。
清教徒はイギリスで信仰の自由を求めて未知の北米大陸に辿り着き
敬虔な信仰者たちでありました。
清教徒が北アメリカに来る前の
歴史的背景に、英国ヘンリー8世
ジェームズ1世、チャールズ1世
の宗教迫害があり、
信仰の自由を願う清教徒たちは
イギリス南海岸プリマス港で
1620年8月5日メイフラワー湖に乗りアメリカ大陸に向けて航海を決断した。
25人の船員と総102人の清教徒
船に乗りそのうち、男子78人、女子24人がその後63日間3,400マイル(5,440km)
遠くて長い、危険な航海が続き、
多難の後にメイフラワー湖新大陸アメリカに錨に降り立った。
63日の長く退屈で危険な航海であったにもかかわらず
彼らはすぐに陸に降りず、
船の中で日曜礼拝を捧げた。
これらの先駆者たちに、
さらに難しい難関が待ちうけていた。11月 中旬 の到着時、
強風と吹雪を伴う過酷な寒さと
病気と食料不足、原住民の冷たい待遇、脅威のある獣、悪い住居など、すべてが絶望的であった。
結局、その年(1620-1621)冬、
到着した102人のうち半分以上が
2〜3ヶ月以内に世を去り、
特に1〜2月の過酷な冬には
一日に2~3人ずつ死んでいき、
生存者は50人だけで、そのうち多くが疲れ、健康を失い、
病気など苦痛に耐える。
うちの6〜7人の健康な人々の手によって焚火を整え、寝室を作り
病人を看護し、病人と老人の服を洗い、七面鳥や鹿などを狩り肉を調達するなど自発的な献身があって、やがて暖かい春が訪れ、生き残った清教徒たちは地を開拓し、
種を蒔き整え、その年の秋には期待以上の収穫をするようになり、彼らは神の前に感激の涙で感謝を捧げた。
「涙を持って種を蒔くものは
喜びを持って刈り入れる」
(詩篇126:6)
清教徒は63日間、波と戦い、
厳しい荒れ地で生き残ったもの、
信仰の自由が許されたこと、
アメリカ大陸の開拓者がしたこと
神様の前に心から感謝をした。
ここから、1661年の秋の最初の感謝祭の礼拝を感激と感謝を持って捧げるようになりました。
神に向けて、絶対信仰と決断、
そして開拓精神が今日のアメリカにあるということです。
「あなたを大きな国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする」
(創世記12:1-3)
人生の答えはキリストの中で♪
❤ 2021.11.19
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